丹沢登山本「丹沢今昔」山と沢に見せられてについて
若い頃から「歴史」というジャンルが好きだったもので、学生時代は世界史、日本史等の本を読み漁っていたのですが、インターネット全盛のこの時代、中々本を読む機会が減ってきております。
最近は「近代史」に興味があり、その付近の本をよく読んでいるのですが、視野の狭い戦前・戦後のモヤモヤ~とした学校教育のあり方に疑問を持つことが多かったりします。
「社会の先生」になりたいと思っていた時期もあったのですが、頭が足らなかったのと、色々とありまして現職の「経理部」に落ち着いている感じです。
社会の先生って、何故か風変わりの方が多く、気持ち悪い部類のおじさんが私の学校では多かったのですが、その点は「合格点」だったと自負しております(笑)
近代史の話をすると、どうしても右翼・左翼といった極端な傾向になってしまいますので止めますが、そんな歴史好きが幸いし地元の丹沢に興味を抱き、だいぶ前から調べてはニヤニヤしておりました。
自分の生まれ住んでいる地域に昔から鎮座している山々ですので、どんな歴史を辿ってきたのか興味が湧き、時間を見つけては色々と書物を読んでいるところになります。
将来的には「丹沢山塊のガイド」になりたいな~という薄っすらとした夢があるのですが、色々と調べてみると資格の取得にはお金と時間がかなり掛かるので、既に夢は潰えている状況です・・・。
ちなみに、山岳ガイドの資格がなくても、お金を貰って山の中を案内する事は問題になりません。
しかしながら、「旅行業法」という法律の絡みがありまして、そちらに沿った形に行う必要がありそうな雰囲気でした。
旅行業法も、第一種から第三種(地域限定)などの区分があり、登録や保証金なども積まなければならず、丹沢ガイドをして生計を立てるのには敷居が高い感じでした。
某登山ショップが企画する登山ガイドツアーも、この法令による違反だったような記憶が残っているのですが、こちらの話も長くなるのでこの辺で割愛したいと思います!
話しがアチコチ飛んでおりますが、丹沢登山について書かれた書籍は数多くありますが、最近読んで面白かった本が、今回ご紹介する「丹沢今昔」になります。
山と沢に魅せられて
まさに私がいつも丹沢山塊について思っていることが副題として記載されております!
「丹沢今昔」は、地域限定の話になってしまいますが、丹沢山塊周辺の歴史について詳しく書かれている書籍になりますが、今日はそちらの登山本について掘り下げてみたいと思います!
丹沢周辺も開発が進み、悲しい過去を繰り返してきたことがよく分かるかと思います。
丹沢登山本「丹沢今昔」の内容について
こちらが「丹沢今昔」の内容の一部になります。
あまり内容を載せ過ぎてしまうと、色々と問題になってしまいますので、最小限かつ不鮮明な写真になりますが、ご理解いただけたらと思います。
丹沢今昔は、丹沢の登山本でもあり、丹沢山塊周辺の歴史書的なジャンルの書籍になると思います。
副題のとおり、著者が独自に調べた丹沢の山と沢、滝、渓谷などの歴史や現在に至る経緯を細かく書かれております。
全体的に、昭和初期の丹沢山塊の様子や、各山小屋などの歴史について多く触れられている感じです。
丹沢今昔で取り上げられている主な範囲の地図になります。
一部、この地図以外の所についても書かれているのですが、目次を見るとさらに分かりやすいので添付したいと思います!
え?字が小さすぎてよく読めないよ?
目のサプリメント(めなり)と共に小さな文字と戦って下さい!(笑)
本が好きな人とモザイク動画が好きな変態気味なおじさんは、目のケアが重要ですよね♡
え~・・・話を丹沢今昔に戻しますが、主に4つの項目からなっておりまして、
- 表丹沢
- 大山山麓
- 西丹沢・北丹沢
- 丹沢とともに60年
こんな感じにエリアごとの丹沢の今と昔について書かれております。
最後の見出しである「丹沢とともに60年」につきましては、著者である奥野幸道様が、丹沢と一緒に歩んだ人生について書かれている内容なのですが、本当に丹沢のことが好きなんだな~と思わされました。
著書の中に「丹沢があれば他の山に登る必要はない」と言ったニュアンスがあるのですが、私も地元の丹沢山塊が大好きなもので、非常に共感してしまいました。
丹沢登山本で気になった内容と丹沢山塊の歴史について
丹沢の歴史書でもあり、丹沢登山本としても読める「丹沢今昔」ですが、面白いというか、気になった丹沢山塊の歴史の内容について少し取り上げてみたいと思います!
尊仏山荘の歴史と塔ノ岳について
非常に読み応えのあった内容の1つとしてあるのが、表丹沢の代表格と呼んでも良い塔ノ岳と、山頂で通年営業している尊仏山荘の歴史についてになります。
今でこそ立派な尊仏山荘ですが、現在の山小屋は4代目になるそうです。
初期の頃は、マナーの悪い登山者によって山小屋(尊仏山荘)が破壊され、その木材を焚き火の燃料として使われてしまい廃墟のようになった過去があったりします。
結局、監視役として山小屋に管理人が常駐する事になったのですが、登山愛好家にとっては耳の痛い話ですよね。
現在、「登山マナー」が色々な所で叫ばれておりますが、昔は今以上にマナーが悪かったのは衝撃な事実ですよね。
しかしながら、「常識」というのは、時代と共に変わるものですので、一概に全て悪いとはいえないと思います。
一例を挙げるとすれば、昔の山小屋は、ゴミを下界に下ろさず、周辺の山の中に埋める(捨てる)のが当たり前の時代がありましたので、今の常識で判断するのもチョッと酷な話かなと思います。
日頃から登山でよく出没する尊仏山荘と塔ノ岳ですが、そちらについてかなり掘り下げられていて大変興味深かったです。
塔ノ岳山頂は、今では考えられないほど多くの木々が生い茂り、別世界な感じになっていたのも印象的でした。
古い写真が多く使われていますので、よりリアルに丹沢の歴史を感じられるのではないかと思います!
丹沢今昔で取り上げられている、尊仏山荘、ユーシンロッジについて書いた記事になります。
丹沢今昔では、ユーシンロッジや、その周辺についても詳しく書かれているのですが、こちらの記事で現状が分かるかと思いますので、チェックしてみて下さい!
中津渓谷と宮ヶ瀬湖・宮ヶ瀬ダムの歴史について
残念ながら、私が登山をするようになった時には既になくなっていた中津渓谷ですが、現存していた時は、「日本観光百選」に選ばれ、非常に綺麗な渓谷として国内各地から多くの方が観光で訪れていたそうです。
東京や横浜に住む外国人も、日帰りor1泊程度で出没できる景勝地として有名になっていたそうで、足しげく通うような観光スポットだったそうです。
現在の中津渓谷は、宮ヶ瀬湖の底に沈んでいるのですが、湖畔周辺は景勝地としての名残を感じさせる美しさがあったりします。
私は滝が好きなのですが、中津渓谷にも多くの美滝が多かったそうで、その時代に生まれていたらな~と思ってしまいました。
生活を豊かにするダム開発ですが、その一方で、故郷を追われた方や、多くの自然が失われてしまったのは残念ですよね。
「残念」と言いつつ、そのダム開発によって得られた利益を享受している私には、批判できる筋合いもございません。
過日、大きな被害をもたらした台風ですが、宮ヶ瀬ダムが果たした功績は、非常に大きいと個人的には思ってます。
もし、宮ヶ瀬にダムがなければ、早々に城山ダムの放流が決定し、その下流域にあたる相模川周辺は大きな被害になっていたと思います。
色々な思いが入り混じる、中津渓谷についての記述でした。
何が良くて何が悪いのか、簡単に答えは出ませんよね。
昔、景勝地として有名だった中津渓谷ですが、その地があった宮ヶ瀬湖周辺について書いた記事になります。
宮ヶ瀬湖周辺は、紅葉がとても美しいエリアになるのですが、きっと、中津渓谷の名残なんだと思っております。
丹沢マニアックルートの1つである栂立尾根の登山の記録にもなっているのですが、良かったら参考にしてみて下さい!
原小屋平の山小屋(原小屋平小屋)の歴史について
丹沢主脈縦走をすると、必ず通るのが「原小屋平」になりますが、残念ながら今はただの平地になってまして、昔そこに山小屋あった事を感じさせるものは一切残っておりません。
そんな原小屋平に山小屋があったのですが、神奈川県で「国体」が行われることがキッカケだったそうです。
国体で登山が行われる事が決まったものの、受け入れる山小屋が足りず、水場が近かった原小屋平に山小屋の建設が決まったのが歴史の始まりになります。
現在でも、原小屋平の山小屋跡地付近に水場が残ってまして、給水する事が可能です。
しかしながら、近年、シカの生息数が増えた影響により、大腸菌による水場の汚染が深刻になっているそうで、原小屋平の水場も生水での使用は控えた方がよいと言っている方もいたりします。
水場も近く、雰囲気の良い所で営業していた原小屋平小屋ですが、表丹沢と比べると、登山者の数が少なく、財政面で継続が難しくなり、閉鎖・解体となり今に至る感じです。
「丹沢今昔」の内容からすると、原小屋平小屋は、是非泊まってみたかった小屋だな~と思ってしまいました。
現在、原小屋平小屋の跡すら残っておりませんが、非常に雰囲気の良い森の中にあります。
今回取り上げた内容以外にも、表丹沢のロープウェイ計画や、丹沢のスキー場、過激派が爆弾実験をした西丹沢の一軒家跡(一軒家避難小屋)など多くの事がらが書かれてますので、実際に手に取って読んでいただけたらなと思います!
まとめ
自分の知らない昔の丹沢がよくわかる1冊で、非常にためになりました。
今でこそ見慣れた丹沢の景色も、昔は全然違ったことに驚きを隠せませんでした。
丹沢は、都市部の近くにある山塊ですので、他の山々より開発が容易だったのも大いに影響しているんだろうな~と感じました。
昔は、今以上に美しかった丹沢ですが、現状の姿を後世に残せるかどうかは、非常に怪しいところですよね。
昔の登山愛好家の多くは、「丹沢山塊の美しさを後世に残したい」といった意識が希薄だったのではないかな~と感じてしまう部分もありました。
しかしながら、丹沢の現状に憂いて行動に移した方も多くいたのもまた事実になります。
今と昔を比較できるのは、将来を考える上でも大事な資料になると思います。
昔の良き姿を知ることは、現状の悲惨さがよく分かるともいえます。
著者である奥野幸道さんも、丹沢の為に何ができるのか?を、自問自答し続けた一人だと思います。
丹沢山塊の良さをアピールすればするほど人が集まり、結果的に自然破壊につながるジレンマを痛感した方であるとも思いました。
私は丹沢を愛する登山者の一人になりますが、昔の丹沢について知れて、色々と考えさせられる読書の時間になりました。
過去を知って今に活かすのが、この時代に生きる者の宿命だと思いますので、興味があれば是非、読んで欲しい丹沢の登山本、丹沢の歴史書でございます!